蝉氷坊のブログ

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新・銀幕の浄土(気ままな映画評)その7

法*斎 消息

 

燃えよドラゴン

 

中学生の頃、友人が「おぉ~あちゃぁ~~~!」と叫びながらポーズを決めている。「それ何?」と質問。「ブルースリーだよ。知らないの?」その当時は興味がなく全く知りませんでした。それから数年、大学生になり「燃えよドラゴン」がリバイバル上映され、友人たちと観に行きました。「へぇ~こんな映画だったのね!」ブルースリーのアクションは想像を遥かに超え、早い、高い(脚が)、美しいではありませんか。カンフー映画の先駆的俳優で、武道家でもあり、大学では哲学を修めた方だったんですね。

しかし、32歳という若さでこの世を去り、「燃えよドラゴン」が公開され、世界中で大ヒットしたときには既に居なかったのです。映画の演出にもこだわったようで、劇中、相手からケンカを売られるのですが、一戦交えることなく戦わずして勝ってしまいます。映画の冒頭でも、弟子に「考えるのではない。感じるのだ!」と指導します。何か禅にも通じるような場面ですね。映画の中盤、敵に見つかり、逃げ場を失ったリーは足を組んで座り込みますが、まるで坐禅じゃないですか。

映画の後半、敵の首領との大格闘、大きな見せ場ですね。負傷しながらも首領を倒したリーですが、もの悲しそうな表情を浮かべたたずむ中、救出隊がなだれ込むシーンを最後に映画は終わります。今思い返すと、確かにアクションは凄かったのですが、心に残っているリーのさみしげな表情は何だろう?と。その表情は他の映画でも見せています。戦うことでしか解決できないこと、自分もそして相手も。やりきれなさと、虚しさが込み上げます。この映画は、アクションの凄さだけではないものを教えてくれているのかもしれません。(イラストも筆者)

 

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