蝉氷坊のブログ

 文殊会通信(読書、映画、美術、酒をめぐる片言隻句)ぶらぶらあるき(県内篇・県外篇)梵夫の時間(おりおりの日誌)

文殊会通信第21号 2014年6月1日

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海*堂  消息

 

●最近読んだ本
『仏典で実証する 葬式仏教正当論』/鈴木隆泰/興山舎/2013.11 ★★★

 日本仏教に対し葬式仏教などとの揶揄や批判に対する反論の書。著者は仏典を原文で読み進めていくうち、日本仏教は表面的には違って見えても、その本質はインド仏教と同じでは、と考えるようになった。

 そこで、葬式仏教批判の根拠とされる「出家者は葬儀に関わるな」という釈尊の言葉が取り上げられる。これは『大般涅槃経』(パーリ語『大パリニッバーナ経』)の中で、瀕死の釈尊がアーナンダに語る言葉の中に出てくる。以下中村元訳、岩波文庫

  「尊い方よ。修行完成者のご遺体に対して、われわれはどのようにしたらよいのでしょうか?」

  「アーナンダよ。おまえたちは修行完成者の遺骨の供養(崇拝)にかかずらうな。どうか、おまえたちは、正しい目的のために努力せよ。王族の賢者たち、…(中略)… かれらが、修行完成者の遺骨の崇拝をなすであろう」

 これを根拠に多くの人々が,出家者による葬儀は釈尊の遺言に反するものだと批判してきた。山折哲雄氏は『仏教とは何か』(中公新書 1993)でアーナンダは(葬儀に関わることにより)釈尊の遺言を裏切ったものであり、そこから仏教の歴史は始まり、それに続く仏教徒はアーナンダの徒でしかないと言う。もっとも経典の中ではアーナンダは直接には葬儀に関わっているわけではなく、山折氏の解釈は少々恣意的な感が否めない。
 著者はこの「遺骨の供養(崇拝)」と訳され、理解されてきた部分を検討する。原語の「シャリーラプージャー(パーリ語ではサリーラプージャー)」は、元来の意味やその使用されている文脈から「遺体処理手続き」のことを指しているのであり、供養や葬儀のことを意味しているのではないとし、釈尊が出家者が葬儀を執行することを禁じたのではないと結論づける。また最近の研究から、インド仏教の出家者は葬儀に携わらなかったという説は大幅な修正を迫られているとも言う。
 つぎに『金光明経』を葬式仏教を解く鍵として一章を立てるが、いまいち明快さに欠ける。
 最後に「亡くなった人に戒名を授けるのは正しい」という章を立てる。その根拠は、『マッジマ・ニカーヤ』の中で、「釈尊は仏を、仏になる前の名前で呼ぶことを明確に禁じて」いるからであり、また「阿弥陀仏(アミターユス、アミターバ)も成仏する以前は法蔵(ダルマーカラ)という名前の修行者」だったからというもの。「仏になると名前が変わる。仏を俗名で呼ぶことは堅く禁じられている」ことが、仏教の正しい伝統だという。ここには少し無理があるようである。日本での戒名は、古代中国の儒教の諱が原型であろう。
 近代仏教学が切り捨ててきた仏教の儀礼的要素や呪術的要素は、宗教としての仏教に必須のものであったはず。著者は、もちろん現代日本の仏教を全面的に肯定するわけではなく、現代日本人にホリスティック(包括的、サイト管理者注)な安心を与えるためにこそ、「葬式仏教を大切にし、同時に葬式以外の治療も施せるように」と願っているのである。

▼これから読む(購入する)予定の本
『葬儀と日本人 位牌の比較宗教史』/菊地章太/ちくま新書/2011.8

 儒教道教、仏教の葬儀の比較。意外におもしろい。


 高*庵  消息

 今月はお休みです。


 蝉氷坊  消息

■最近読んだ本

満洲事変』/緒方貞子岩波現代文庫/2011.8 ★★★★

 

 8ヶ月目にしてようやく読み終えた。
 昨年末、国連高等弁務官としての著者の活躍を取りあげたドキュメンタリー番組(NHKスペシャル「戦争が終わらないこの世界で」)を観た。近代史は、民族自立と領土獲得の歴史である。科学や文明の発達は、世界の平和と共存に貢献してきた以上に、破壊や分断のために機能してきたように見える。
 本書を読み終わるまでの間にも、領土をめぐる中国と東アジア周辺諸国との軋轢のニュースが連日のように報道されていた。中国や韓国の反日感情の根底には明治以来の日本の歴史問題がある。本書に引き寄せていえば、明治以来の朝鮮半島を含む大陸進出(侵略)政策の中で、満州事変はひとつのターニングポイントであった。
 これまで多くの「満州」や皇帝溥儀に関する書物を読んだが、私が知り得た満州はおもに軍隊の視点から見た満州だったのだと、今思う。近代史への関心から、松本清張の『昭和史発掘』を夢中で読んだ一時期がある。そこには学術書と一線を画したおもしろさがあった。
 日本内地の補給基地であると同時に対ソ戦略の橋頭堡としての満州関東軍の経済的・軍事的・政治的開発の実験モデルとしての満州。こうした関心の寄せ方は、私の出発点が『昭和史発掘』だったからだと思うのである。
 さて、関東軍の独断専横も大本営の不決断も政府の無責任も、独自に存在したわけではなく、その内実が長期間にわたって同じレベルだったのでもない。それらは当然のことながら人事交流、政策をめぐる論争、メディアや世論の動向、国際連盟や諸外国(とくに欧米列強)からの外圧など、さまざまな外的要素によって揺れ動いていた。また、軍人たちも世代、地位、出身母体、実戦の有無などによる考え方の相違は大きく、さらに、国家社会主義思想に感化された若手将校らは上層部との対立を深めていた。
 本書はこうした当時の状況を実証的に提示、分析したものである。酒井哲也氏(日本政治外交史)は本書の解説の中で、「研究の志においては、戦争を経験した日本人の熱い問題意識に基づきながら、それを追究する手法においては、戦後日本のイデオロギー的文脈から離れたアメリカ社会科学の理論装置を軸とする姿勢が、本書を息の長い書物とたらしめた一つの要因」、「問題意識と研究手法の幸福な結合」と書いている。
 本書の元になった論文は、1963年著者が学んでいたアメリカの大学に提出された。当時、太平洋戦争をくぐり抜けた軍人や政治家の多くは存命であった。本書でも引用している『満州事変機密政略日誌』(通称『片倉日誌』)の著者片倉衷(ただし)、著者の曾祖父で犬養毅内閣の外務大臣芳澤謙吉らである。緒方氏は指導教授の計らいで当時未公開であった当該書を片倉宅で閲し、本人の談話も記録している。芳澤謙吉は中華民国公使の在任中、北京政変で紫禁城を脱出した皇帝溥儀夫妻を公使館に庇護した経緯があり、まさに歴史の生き証人であった。
 本書では、たとえば「満洲国」の成立過程は私がイメージしていたものと随分違う印象である。関東軍大本営、政府の三者ともそれぞれ最終的な構想に差異があり、手段にも時間的に変化があるが、①満州を資源と食糧の補給基地とみなし、②中国や列強諸国との交渉ではあくまで領土の確保が前提であるとの認識は共通していた。
 張作霖をはじめとする軍閥や溥儀の影が、今は遠景として退いたように感じる。東アジアの近代史への関心の寄せ方がこれからは少し変わるだろう。

 

●今読みかけの本

1.『ルポ精神医療につながれる子どもたち』/嶋田和子/彩流社/2013.12

 4ヶ月目。

 

2.『徳一と最澄 もう一つの正統仏教』/高橋富雄/中公新書/1990.6

 再読。2ヶ月目。

 

3.『仏典をよむ 死からはじまる仏教史』/末木文美士新潮文庫/2014.5

 仙台駅の書店で。「妙貞問答」に一章が充てられていたのでつい買ってしまった。

 

▼アート一般

映画『舟を編む』/石井裕也監督/2013/八戸フォーラム ★★★

 

 原作は三浦しをんの2012年の本屋大賞受賞作。未読。
 静謐というか、静寂というか、とにかく現代の映画ではほんとうに稀な静かな映画である。映画の中では大きな音がしない。スクリーンを大きく占める顔のアップシーンがない。大きな事件が起きない。この映画で辞書作りは海に喩えられているが、逆巻く波はなくさざ波の穏やかな海なのである。
 むろん、小さな波はある。採算の取れない辞書部門が会社の中で廃止されかけたりとか、校正段階で抜けた項目をめぐって締切に追われながら連日徹夜の見直し作業が行われたりとか。そして、辞書づくりにはじめからたずさわるベテラン編集者の妻(映画には登場しない)や編集主幹の国語学者の死、一風変わったプロポーズに始まる主人公の結婚など。
 原作を読んでいないので何とも言えないが、おそらく脚本の勝利ではないか。あえてエンターテイメント色を強調しないところがいいのだと思う。この映画のほんとうの主人公は辞書なのだから、それを作ったり関わったりする人間は皆バイプレーヤーなのだ。別な見方をすれば、辞書は国語学者や出版社の人間だけでなく、デザイナーも紙づくり職人も、それぞれの家庭を支える家族も含めて皆で作っているともいえる。大きな音も、大きな顔も、大きな事件も辞書という大海にあっては小さな小さな波なのである。
 ただ、映画に限らず、エンディングに死を持ってくるのは物語の定番ではあるけれど、安直(言い過ぎだが、適当なことばが見つからない)な印象も受ける。
 キャストでは地味な事務員を演じた伊佐山ひろ子がよかった。昔からファンである。

 

【編集後記】

 通算21号です。

 前々回『トランペットのバラード』という曲のことを書いたとき、もう一つ思い浮かんでいた曲がありました。『禁じられた恋の島』という映画の主題歌で、こちらも美しい曲です。どちらも今はYou Tubeで聴くことができますが、自分の記憶の中に最初から最後までメロディが残っています。『禁じられた恋の島』は1962年のイタリア映画で、私は未見ですがいわゆる往年の名画のようですね(残念ながら、現在国内では見られないようです)。

 ヘッダの写真は、弘前市の藤田記念庭園にある和館の軒にある風鈴(風鐸?)です。形が美しい。

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蝉氷坊通信メンバー  蝉氷坊 1954年生   海*堂 1954年生   高*庵 1958年生   法*斎