蝉氷坊のブログ

 文殊会通信(読書、映画、美術、酒をめぐる片言隻句)ぶらぶらあるき(県内篇・県外篇)梵夫の時間(おりおりの日誌)

文殊会通信第20号 2014年5月1日

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海*堂  消息

 

●最近読んだ本

『信に生きる〈親鸞〉』仏教を生きる第9巻/阿満利麿/中央公論新社/2000.2 ★★★★

 

 法然が始めたおおらかな念仏の教えを、正統に受け継いだ親鸞は、その念仏の教えをさらに追究していった。その過程を大変わかりやすく解説している。

 法然親鸞の人間観は、人間を「業縁」的存在とみるところに特色があると著者はいう。「業縁」とは、中村元の『広説仏教語大辞典』には「行為の間接的条件。業が縁となってはたらくこと。業報の因縁」とある。著者の言葉では、無意識に沈んでいた過去の行為が原因となって、さらにそれに偶然という「縁」がはたらいて、思いもかけないふるまいをすることとなる。そうするとわれわれが自由意思と思い込んでいるものは実は肥大化した自我に過ぎないことになり、人は縁次第で善にも悪にもなるということになる。         

 「悪人」とは親鸞によれば、道徳上の意味ではなく、純粋に仏教という宗教上の言葉だということで、仏教という教えに背く、あるいは最も遠い存在を指している。さらに業縁的存在という点から見ると「善人」もまた「悪人」と同じ「凡夫」なのである。

 親鸞の信心は、みずからを「悪人」だと深く自覚したときに成立したと言う。この「悪人」もわかりやすく考察されていて読みやすい。

 

▼これから読む(購入する)予定の本

歎異抄』/ワイド版岩波文庫

 

 1972年に購入した『歎異抄』を久しぶりに開いたら頁の周囲が焼けて黄ばんでしまっていてなんとも読みづらい。しかも脚注の文字の小さいこと、老眼と相俟って読みにくいこと甚だしい。その他もついでに買い直すことにした。

 セロファンのカバーがある古いタイプの装丁本が、焼けやすいのかと思って調べてみると、80年代初めまでは黄ばみが見られるが、80年代半ばからは黄ばみが薄くなる。80年代半ばを過ぎたあたりから現在のようなコート紙による装丁になったようだが、やはりまだやや黄ばみが見られる。他の文庫本に比べても岩波文庫は黄ばみやすいようだ。ついでに70年代半ばの岩波新書をみると黄ばみは少々あるが、文庫ほどひどくない。

 

 

高*庵  消息

 

 今月はお休みです。

 

 

蝉氷坊  消息

 

■最近読んだ本

『映画と戦争 撮る欲望/見る欲望』/奥村賢編/森話社/2009.8 ★★★

 

 日本映画史叢書(全15巻)の一冊。掲載の論文は以下の12本(副題省略)。

 ①戦争/欲望/表象 … 奥村賢(専攻、映像・映画研究、以下同じ)

 ②日露戦争と映画 … 上田学(映画学・日本映画史)

 ③戦争とカツドウヤ … 佐崎順昭(日本映画)

 ④宣伝メディアとしての映画 … 倉沢愛子(アジア社会史)

 ⑤米国政府による日本映画の接収と軍事利用 … 板倉史明(日本映画史)

 ⑥戦争責任論と一九五〇年代の記録映画 … 川村健一郎(映画史・映像マネジメント)

 ⑦ドラマの中のヒロシマナガサキ … 佐藤武

 ⑧従軍する女性たち … 御園生涼子(映画史・映画論)

 ⑨東宝特撮と戦争の影 … 内山一樹(映画史・映画技術)

 ⑩戦艦大和イメージの転回 … 佐野明子(映像研究)

 ⑪大島渚とヴェトナム … 川村健一郎(前出)

 ⑫キャメラは「こじ開ける」 … 石坂健治(アジア映画史・日本ドキュメンタリー映画史)

 ここでは「⑧従軍する女性たち」を取りあげ、内容を要約してみる。

 副題は、『ひめゆりの塔』にみる戦争とジェンダー/植民地表象の政治学。

 ひめゆり隊を中心テーマとした劇映画はこれまで4本ある。1953年版(今井正監督)、1968年版(舛田利雄監督)、1982年版(今井)、1995年版(神山征二郎監督)があり、タイトルは1968年版が『あゝひめゆりの塔』、他の3作は『ひめゆりの塔』である。脚本は1953年版、1982年版が水木洋子だが、他の2作も基本的に水木脚本を踏襲、ないし参照している。製作時期は戦後日本と沖縄史の節目にあたる年と奇しくも重なる。また、「ひめゆり」映画は概観的にみて戦後日本のナショナル・アイデンティティをすくい取る器として機能してきた。

 ひめゆり隊の特異性は、日本におけるほとんど唯一の従軍する女性であったことである。第二次世界大戦中、参戦国の多くが「不本意」ながら軍の補助的任務に従事させた(少数ながら直接戦闘任務についた者もいた)のに対し、日本では女性の従軍はまったく顧慮されず、もっぱら勤労奉仕や挺身隊という「銃後」にあって国を守るスタイルに終始した。換言すれば、女性は家族制度を基礎とした再生産プロセスの中に位置づけられた。

 その中にあって、「ひめゆり」映画で描かれた「従軍する女性」は他国(連合国=アメリカ)の侵入という安定した秩序の崩壊と、日本本土から疎外された沖縄という地域を象徴するものである。しかも、映画で描かれる沖縄の総力戦や傷つき倒れる少女の姿が、戦中の被害者としての自己像や冷戦構造における戦後日本を支えるイメージとしても機能しており、そのことが『ひめゆりの塔』のイメージ形成プロセスをより複雑にしている、というのである。

 要するに一群の「ひめゆり」映画は、少女たちを圧倒的な兵力の差の前に死んでゆく悲劇のヒロインとして描こうが、国と傷病兵のために尽くす英雄物語として描こうが、観る側はそれらに一向お構いなしに、「自らを肯定する『被害者』イメージを沖縄に見出し自己同一化する一方で、その存在を否認することによって戦中・戦後を通じた東アジアへの『加害者』としての自己を忘却」しようとする装置として機能してきた、と。

 国や家族を守るという「大義」のために敵を殺すことは、時代がそうだったのだから仕方がない、とか、戦争とはそういうものだ、という言い方をする人がいる。戦争に英雄譚はない。私は論者に賛同する。

 

●今読みかけの本

1.『満洲事変』/緒方貞子岩波現代文庫/2011.8

 7ヶ月目。あと少し。

 

2.『ルポ精神医療につながれる子どもたち』/嶋田和子/彩流社/2013.12

 3ヶ月目。

 

3.『徳一と最澄 もう一つの正統仏教』/高橋富雄/中公新書/1990.6

 再読。

 

▼アート一般

1.『美の壺』/NHK

 

 『美の壺』という番組、放映は週に一度(BSプレミアムは金曜午後7時半から、Eテレでは毎週日曜午後11時から再放送の「セレクション」)。番組表でおもしろそうなタイトルを録画しておき、気に入ったものは繰り返し観ている。

 最近では「水草水槽」(File285、2013年8月30日)、「寄木細工」(File292、2013年11月3日、アンコール放送)が特によかった。どのタイトルもそれなりにおもしろいのだが、時間が30分と短いので内容が寸詰まりの回もたまにある。なお、この4月からナレーションがアナウンサーの礒野佑子から女優の木村多江に代わった。ファンとして大いに楽しみである。

 

2.『ひとりぼっちの天使』/ヤール・キューレ監督/スウェーデン/1970

 

 今回は最近観た映画ではなく、記憶の中の映画から。

 突然に、何の脈絡もなく昔の記憶が鮮明によみがえることはだれにでもあるだろう。それも徐々にではなく、扉を破って吹き込む風のように一気に。

 前回映画『気狂いピエロの決闘』で使われた『トランペットのバラード』という曲のことを書いた。曲が使われたシーンがよかった、数十年ぶりなのに一曲をほぼ全部憶えていた、云々。

 今回前号の記事を読みながら、『ひとりぼっちの天使』という映画を突然思い出した。高校生の時観ただけだが、ストーリーも主題歌も、観た日の映画館のまわりの風景まで思い出すことができる。ここ数十年、たぶん一度も思い出すことがなかった映画のディテールを憶えていることは我ながら不思議だ。

 あらすじ。4歳の主人公マッツはお手伝いさん(今は家政婦というのだろう)のネンナにだけ心を開いていた。内務大臣の父と小児科医の母は多忙で、息子の世話はネンナに任せきり。ある日散歩に出かけた二人は、ヨット遊びに興じる少年たちに会う。荒れた海でヨットは沈んでしまい、ネンナは少年たちを助けようと海に飛び込むが力尽きて死んでしまう。ネンナの死を信じられないマッツは、夜一人で死体安置所に向かう。…

 残念ながらこの映画を現在観ることはできない。ビデオやDVDはなく、テレビや専用チャンネルで放送されることもおそらくないだろう。ネットでも、日本語ページでレビューや口コミはひとつも見つけられなかった。Wikipediaのリンクを頼りに英語のデータベースを開くと、1件だけレビューがあった。

 2005年7月12日に書き込まれたレビューには、ストックホルムに住むアンナという女性が「ゴージャス」のタイトルで、「いにしえのスウェーデン絵画を見るような郷愁をおぼえる、子どもの目の高さで捉えた映像が効果的」などと書き込みしている(誤訳の可能性あり)。この女性は昔観た記憶を書いているのか、最近どこか(例えば図書館のライブラリーなど)で観た感想を書いたのか、それは分からない。レビューの最後には、雨が降る夏の午後に観たとある。

 内容は『禁じられた遊び』(ルネ・クレマン監督/フランス/1952)や『汚れなき悪戯』(ラディスラオ・ヴァホダ監督/スペイン/1955)などと同系統の映画といっていいだろう。この二本、どちらもお勧めしたいいい映画です。

 

3.落語『らくだ』/笑福亭松喬/CD ★★★★

 

 『らくだ』を知ったのは、随分前に春風亭小朝がラジオで演じたものを聴いてであった。こんな噺があるのかと感心した。

 あらすじ。らくだとあだ名される長屋の嫌われ者を弟分の半次が訪ねると、らくだは前の晩に食ったフグの毒に当たったらしく死んでいる。葬式を出してやろうとする半次は、たまたま来た屑屋の久六を嚇かして何かとものを言いつける。長屋の月番の所へは香典集めを、大家の所へは通夜の酒と料理を。これまでさんざんな目に遭ってきた長屋の連中は断るが、それを承知の半次は久六に、いやなら死人に「かんかんのう」を踊らせると言わせる。案の定断った大家の所に、らくだを無理やり久六に背負わせて乗り込む。驚き謝る大家から酒と料理が届く。同じ手で八百屋から棺桶代わりの漬物樽をせしめ、二人は酒盛りを始める。酒癖の悪い久六は飲むほどに荒れ出し、二人の立場は完全に逆転する。…

 この話、まず第一に主人公(?)が死んで登場するところが異色である。聴く側は、死んだらくだがどれほどひどい人間だったかを話が進むにつれて知ることになる。これがまずおもしろい。(『らくだ』は歌舞伎や演劇にもなっているとのことだが、らくだの役者は大変だ。)

 第二に、気弱な久六がだんだん態度を変えてやくざな半次を嚇かし怒鳴るところが痛快である。演者にとっては聴かせ所、見せ所でもある。こういうシチュエーションの外国映画を観たことがあるような気がするが思い出せない。

 第三に、登場人物が小悪人ばかりで内容も暗いのに、どこか小気味よさを感じさせるストーリーである。『黄金餅』とも共通するが、インモラルな噺は演者のキャラクターによるところが大きいようだ。

 このCDは、前回書いた釋徹宗著『おてらくご』で推奨してあったもの。笑福亭松喬師を聴くのは初めて。

 

■酒肴全般

フレシネ・セミセコ ロゼ/スパークリングワイン/スペイン ★★★

 

 これまでスパークリングワインには一種の偏見があって食指が伸びなかったのだが、いつも行く店で「店長オススメ」のポップ表示にダメ元で買ってみたら意外に、という味だった。甘口ですっきりというのは矛盾するようだが、これがそうでもない。「やや甘口」の表示は予想とは違って、甘口を-2、辛口を+2の五段階とすれば、-0.5ぐらいの感じ。値段は1200円ぐらいだったか。

 このごろは日本酒でも辛口を強調したものが口に合わなくなり、甘口でもおいしいと感じることが間々ある。以前は喉ごしで味わっていたものが、口の中の味わいを楽しむようになったものか、加齢によって体質も変わってきたせいもあるのだろう。このワインの甘さは買いである。

 

【編集後記】

 通算20号です。

 花見をしないうちに桜は散り、大型連休は終わってしまいました。桜より早く咲いた梅のほうは可憐な花がまだ散らずに残っています。 

 さて、だんだん体力の衰えを実感するようになりました。気分よく酒を飲んでも、親しい友と話をしても疲れがきて、ずっとこうしていたいと思わないことが多くなりました。これは危険信号なのかも。少しは体を鍛えなくちゃね。

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