蝉氷坊のブログ

 文殊会通信(読書、映画、美術、酒をめぐる片言隻句)ぶらぶらあるき(県内篇・県外篇)梵夫の時間(おりおりの日誌)

ぶらぶら歩き(徘徊歩記) 浮島丸追悼集会

 十五年戦争を生き抜いた人たちは、下は70代後半から上は90歳を越えている。歴史の生き証人としての寿命はわずかしか残されていない。毎年7〜8月は先の戦争に関する報道が増える時期である。そうした人たちをメディアで見聞きする機会が多いのだが、次世代に戦争の悲惨と愚昧をことばで伝える時間が短くなり、人口は加速度的に減っている。国政をコントロールする人たちが法を変え、装備を増やそうとしている現状は、まるでそれを見透かしてでもいるかのようだ。

 下北在住の心ある人たちが、浮島丸事件という敗戦直後に起きた海難事故の犠牲者を悼み、平和と非戦を誓う集会を始めて20年になる。下北半島には、当時の浮島丸出港や朝鮮人の過酷な労働を知る人もいる。参加者の多くは高齢になってきているが、そのこころざしを引き継いで今後も協力していこうと思うのである。

 

 浮島丸下北の会会長村上準一氏のあいさつ

f:id:senhyo-bo:20130822131321j:plain

 

 乗員乗客約4000人を載せた浮島丸は1945(昭和20)年8月22日、韓国釜山港に向けて青森県むつ市大湊を出港する。写真左手に大湊桟橋(通称菊池桟橋)があり、ここからはしけで約200メートル沖に停泊した浮島丸に乗りこんだという。同月24日、寄港した京都府舞鶴湾で爆発沈没し、故国朝鮮への引揚者524名、日本人乗員25名が犠牲になった。日本海難史上屈指の大事故である。

 

 集会を終えて恐山街道を登り、途中左に折れて釜臥山展望台に行った。ここに立つのは数年ぶりだ。晴れてはいるが雲が多く、遠くは霞んであまり見通しがきかない。中央開けたところがむつ市、右に陸奥湾、大湊は右手山の稜線の向こう側。

f:id:senhyo-bo:20130822163747j:plain

広告を非表示にする
蝉氷坊通信メンバー  蝉氷坊 1954年生   海*堂 1954年生   高*庵 1958年生   法*斎