蝉氷坊のブログ

 文殊会通信(読書、映画、美術、酒をめぐる片言隻句)ぶらぶらあるき(県内篇・県外篇)梵夫の時間(おりおりの日誌)

文殊会通信 第9号 2013年6月1日

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From 海*堂

 

●最近読んだ本

1.『犀の角たち』/佐々木閑大蔵出版/2006.7/★★★★

 

 かねてから科学と宗教の関係に関心を抱き、その分野の本も何冊か読んだこともあった。著者の目的は科学と仏教の隠れた関係性を明らかにしようとすることにある。その中で著者は、原子論や相対性理論や心理分析などどんな思想やアイデアでも似たものは必ず仏教の中に探せば見つかると言い、同じ人間が考えることだから洋の東西を問わず似たような考えがあるのは当然で、華厳経フラクタル理論、法華経量子論を結びつけてもなんの意味もなく、ただの思考の遊びに過ぎないと切り捨てる。そして、驚くべきことは何でも見つかるその仏教の幅の広さだと指摘する。

 この仏教の多様化の原因の究明(第五章に略説)が著者の学位論文のようで、『インド仏教変移論』として出版されていて、偶々青森の成田本店で手にしたが、四百頁を超える専門書だったので買ったとしてもいつ読めるかと思ってしまい、そのまま棚に返した。

 科学の代表としての三分野、物理、進化論(生物学)、数学にそれぞれ一章を充て、著者の言葉で「科学の人間化」をキーワードに科学史をたどっていく。「科学の人間化」とは、われわれの直覚が生み出しがちな理想的な世界像、完全な神の世界が、現実観察によって次第に修正されていくことである。たとえば、神が支配する世界という視点による天動説は、望遠鏡の発明による観察という人間の視点に移った結果、地動説が成立することになったのである。そして科学は物質世界の真の姿を追い求めて論理的思考を追究するうちに神の視点を放棄して、人間という存在だけを拠り所とする物質的世界観を作らなければならなくなった。

 著者は、「仏教は、同じく神なき世界で人間という存在だけを拠り所として、納得できる精神的世界観を確立するために生まれてきた宗教である」という。ただし科学と関連性を持つ仏教と持たない仏教を区別する。前者は釈尊時代の仏教であり、絶対者の存在を想定しなくても、法則性に拠って世界を理解し、奇跡や神秘的な経験もない普通の生活の中に真の安らぎを見、最高の自己を実現する道である。後者は超越的存在を想定せざるを得ない大乗仏教である。いずれが優れているかというのではなく、科学と仏教という関連性に視点を置いた場合に考察対象となるのが釈尊時代の仏教であるということであり、それは修行に専心できるある意味恵まれた人々のための仏教であるが、大乗仏教はそれができない人々のための不合理ではあるが、穏やかで暖かな超越者の救済による宗教であると言うのである。

 著者は、科学と仏教とは根本的世界観が同じ次元にあるということを確信しているという。

 このような視点から書かれた本は今までになく、非常に興味深く読むことができた。

 

2.『人間臨終図鑑』ⅠⅡⅢ/山田風太郎/徳間文庫/2001.3~5/★★★

 

 ようやく三巻すべて読了した。一巻につき五百頁以上、二年近くかかっただろうか。睡眠導入剤としての寝る前の数十分の読書。眠りにつく前の読書は、半分眠りかけのことあってあまり記憶に残らないことも多いようだ。十五歳で処刑された八百屋お七に始まり、百二十一歳で大往生(ただし実際は百六歳ではないかとの説あり)した泉重千代で終わる人間の死に様を収集した臨終図鑑。まことに人の数だけ死の数あって、著者の人間観察の炯眼を楽しめた。

 

 

▼今読みかけの本

1.『知の逆転』/ジャレド・ダイアモンドノーム・チョムスキー他/NHK出版新書/2012.12

 

2.『お伊勢参り 江戸庶民の旅と信心』/鎌田道隆/中公新書/2013.2

 

【編集人から】

 講師の名を思い出せないが何かの研修会で、「代参」こそ日本の宗教を解き明かす最も重要なキーワードだと聞いたことがあります。

 なるほどお伊勢講、お土産、お札、霊水(土や石のことも)など、さまざまなことばがこのタームから連想されます。ひょっとして、本地垂迹や山川草木悉皆成仏だって関連あるかも、なんて気がしてきますね。

 私自身はキーワードをひとつ挙げるとすれば「免罪符」ということば(もっとも日本の宗教史で該当する適当なことばを知りませんが、必ずしも「符」である必要はなく現象として、ということです)。

 

■これから読む(購入する)予定の本

 

 つい買ってしまった本

 

1.『聖書考古学』/長谷川修一/中公新書/2013.2

 

2.『死生観を問い直す』/広井良典/筑摩新書/2001.11

 

3.『宇宙になぜ我々が存在するのか』/村山斉/講談社ブルーバックス/2013.1

 

4.『ご冗談でしょうファインマンさん』(上)/R.P.ファインマン岩波現代文庫/2000.1(1986)

 

5.『がんと闘った科学者の記録』/戸塚洋二著、立花隆編/中公文庫/2011.6

 

 どうも文庫や新書だと購入時のハードルが下がるようで…。

 

●酒肴全般

 純米吟醸/勝山 献/勝山酒造/仙台市/★★★★

 

 娘からの土産物。仙台時代は、勝山や天賞など地酒の二級酒を出されたままにただ飲んでいたが、あまり関心もなく味の記憶も残っていなかった。ところがこの酒を口にして驚いた。こんなにうまい酒を造っていたのかと。爽やかな中に酸味が少しあり、香りは華やかで、草の花ではなく桜や梅などの木の花を溶かし込んだような、静かに漂うような芳香が口中にひろがり、それが続いていく。勝山、見直した。同じでものではないが、勝山を売っている店が市内にあるのを思い出した。そのうち買いに行こう。

 

From 高*庵

 

▼最近読んだ本

 

 四月に引き続き、五月も一冊はおろか一頁も読まないような、極端に言えば新聞すら読まずに2週間分、3週間分とたまっていくような状況でした。

 編集人さんと先日お会いしたとき、「お忙しそうですね」と言われましたが時間的余裕がないのではないのです。心の余裕がなくなってしまったのです。

 そんな中、少し読みかじったものといえば、川田順『東帰』(歌集)の中の「裸心」70余首。

 川田順は現在は知っている人も少なくなったでしょうが、「老いらくの恋」事件で有名です。

 高名な歌人で経済人でもあった川田は60代の頃、年下の京大教授夫人と恋に落ち、世間の批判にさらされ、昭和23年川田家墓所の前で自決をはかり、救出されます。「裸心」はその恋人との一連の出来事をつづったものです。

 「吾が髪の白きに恥づるいとまなし溺るるばかり愛(かな)しきものを」

 「相触れて帰りきたりし日のまひる天の怒りの春雷ふるふ」

 

■今読みかけの本

 

1.『虹の岬』/辻井喬中央公論社/1994.7

 

 帯には「トップの座を目前に住友を去った一代の歌人川田順と京大教授夫人の灼熱の恋。戦後の日本を背景に愛の道程を辿る長編」とあります。

 上記「裸心」の小説です。20年近く前に購入してホコリをかぶってました。「灼熱の恋」だって。何だか久々に聞く言葉です。

 

【編集人から】

 死と愛は詩歌にとって不変のテーマです。歌人と恋愛といえば古くは与謝野晶子や柳原白蓮にその先例がありますね。和歌は愛情の発露に向いているのでしょう。

 和歌ではありませんが、現代川柳にも「封を切る指の先から燃えてくる」という、私には忘れられない句があって、ふと思い浮かべるたびにこんなセンスを生涯持ち続けられる人をうらやましく思います(近づくのはちょっと怖いけど)。

 

●これから読む予定の本

 

 何もありません。読書時間ゼロ状態を更新してますので。

 

▼アート全般

 

 5月にセザンヌを眺めながら、いよいよ最晩年の「大水浴」に到達しました。

 バーンズ・コレクションが来日して、上野のお山に長蛇の列ができたのは、私のカタログを見ると平成6年となっています。なんと19年前なんですね。

 その中に「大水浴」三作の内の1つがあって、実際に見たはずなんですけど画集でみると何にも記憶がないという…。

 わかんないですね。「大水浴」まで来ると、私の理解の向こう側の絵画という気がしますね。

 私に「セザンヌ論」は無理ですので、コメントは控えます。

 

■酒肴全般

 

 暖かくなったら何故か?赤ワインを飲んでます。

 実践あるのみで、全く知識がないので、ただのガブ飲みです。

 恥ずかしい…。頭が痛い…。

 

From 蝉氷坊

 

●最近読んだ本

 読みかけが10冊近くなり、そろそろ整理しなければ。

 

▼今読みかけの本
1.『河原ノ者・非人・秀吉』/服部秀雄/山川出版社/2012.4

 

2.『ふしぎなキリスト教』/橋爪大三郎・大沢真幸/講談社現代新書/2011.5

 

3.『黒澤明集成』Ⅱ/キネマ旬報社編/1981.5

 第1巻を読んだら続きが読みたくなった。長い間捨て置いたのに、読むとやめられない。自分が本なら、文句のひとつも言いたくなるだろうなあ。

 

■これから読む(購入する)予定の本

『世界で最も美しい書店』/清水玲奈/エクスナレッジ/2013.2

 

 壁や書棚に並べられた美術品のような書物の美しいたたずまいを、これまた息をのむばかりに美しい写真で紹介している。神田あたりの古書店の、雑然と積み上げられた本の風景も悪くない。が、西洋の堅牢で瀟洒な建造物の空間には、書物もまたみごとに合う。日本の土蔵を思い浮かべたが、こちらは堅牢ではあっても瀟洒とはいえまい。青森の書店で見たがその日は買わずに帰った。

 

●この一冊

 葬儀そのものではなく、その周辺に関する本を2冊。題して「アラ葬」本。だいぶ前に読んだものなので評価は省略。

 

1.『霊柩車の誕生』新版/井上章一/朝日選書/1990.5

 

 「霊柩車を見るといいことがある」というジンクスだか俗諺があって、人気野球選手が「霊柩車を見た日は必ずヒットが打てる」と言うのを昔テレビで見た記憶がある。ここでいう霊柩車とはたぶん宮形を指しているのだと思うが、最近ではめっきり少なくなった。

 本書に「宮型、寝台型、バス型・各都道府県別所有台数」という表が載っている(1981年3月31日現在)。表には3種類の霊柩車の台数とそれに占める宮形の百分率があり、青森県はそれぞれ33、35、31、33.3%である。日本全体では宮型が42.7%で、一般に西日本が宮型の比率が高く、とくに近畿6県が50%以上というのが目立つ(うち4県は70%超)。なお、寝台型とは飾りのないバンやワンボックス・カーのことだろう。

 現在はどうなっているのか。インターネットで調べると、2007年度の国内5874台の霊柩車の内訳が宮型1512台、洋型1183台であったのが、2011年度には洋型1408台、宮型1148台と逆転している(朝日新聞2012年9月1日の記事を孫引き)。

 さて、霊柩車の原型は明治初期にはすでにあり、小型のお宮に4つまたは2つの車輪と引き棒をつけ、人力で引くようになっている。要するに大八車の荷台に神輿が載ったようなものだ。これを棺車といい、本書によれば現在(1984年ごろ)でも地方では使われている、とある。私も10年ほど前に栃木県の某寺院で、使われていない実物を見たことがある。

 霊柩車に関する文献は非常に少ない。Wikipediaには本書を含めて3冊しか載っていない。ほかの2冊は未見だが、どちらも鉄道事業史に関するもので、大正時代に構想された「霊柩電車」に言及している程度らしい。著者自身「私は、霊柩車研究に関する限りパイオニアである」という通り、本書は稀少かつ貴重な本なのである。

 余談だが、全国霊柩自動車協会のホームページに設立30周年イベント(2005年)の紹介記事があり、「霊柩車の今日的考察」と題した記念シンポジウムの写真も載る。

 (http://www.09net.jp/pc/contents22.html#cnt01

 そのメンバーがすごい。柏木博氏(コーディネイターらしい)、井上章一氏、米原万里氏、藤森照信氏、南伸坊氏の五人。知っていれば絶対聴きに行かねばと思わせる組み合わせ。なかでも米原万里氏の人選は不思議でもあり、妙に感心したりもする。米原氏は作家で秀逸なエッセイをものす方だが、惜しくも2006年故人となられた。

 

2.『火葬の文化』/鯖田豊之/新潮選書/1990.4

 

 おおざっぱに言って、火葬は一般的に都市への人口集中が進んだ近代になって急速に普及した。これは日本でもヨーロッパでも同じである。都市人口の増加は墓地の拡大を阻み、移転や撤去をもたらした。これは信仰や宗教事情とは無関係に、いわば都市化にともなう当然の帰結であり、火葬を促す側(多くは為政者と資本家)の事情である。

 一方、火葬を受け入れる側の国民(多くはキリスト教信者、日本仏教では檀家)にしてみれば、火葬が信仰や宗教的慣習と無関係であるはずがなく、国や地域によって普及・定着の状況は異なる。本書ではあまり触れられていないが、促す側と受け入れる側の中間に立つ教団や宗教者がこれに深く関わるのはいうまでもない。

 本書は日本とヨーロッパ各国の火葬の現況から、宗教的背景や火葬という葬法に対する意識の違いを比較文化論・宗教文化論的に論じる。時間的には現代(第二次大戦以後)に重点が置かれている。

 火葬を教義や葬法の歴史の観点から、近世あたりにさかのぼって知りたいと思って手にした本なので、この点は期待が外れた。

 閑話休題。

 火葬で思い出すのは「黄金餅」(こがねもち)という落語。

 長屋に住む西念という念仏僧が、持ち金をすべてあんころ餅にくるんで飲み込んだまま死ぬ。それを節穴からのぞき見ていた隣の金兵衛は西念を火葬場まで運び、火葬場の男を脅かしてすぐに火葬させ、生焼けにするよう念を押す。遺体から金を取り出した金兵衛は、それを元手に餅屋を開き繁盛する、というストーリー。勧善懲悪などどこ吹く風、身もふたもない哀れで陰惨な話である(そのためか、演者が少ないネタのひとつだという)。

 この話には「願人坊主」の西念ともう一人、木蓮寺の住職という「生臭」和尚が登場するので以前から気になっていた。いずれ改めて書きたい。

 

▼アート全般

 「七戸町アートフェスタ2013」/七戸町商店街特設会場 2013/5/17~5/19 ★★★

 

 七戸町に大正、昭和と二度来町。大きな足跡を遺した彫刻師佐藤光重と、その弟子となった地元の彫刻師蓼内秀好(先代)の作品を展示したごく小規模な美術展。

 佐藤光重は、神社仏閣の欄間や神輿・山車の装飾彫刻を手がける「宮彫師(みやぼりし)」という職能集団の彫刻師である。茨城県竜ヶ崎市の出身、宮彫師として後藤派という流派に連なる。元来、宮彫師は仏像制作を主とする仏師とは異なる領域だが、光重はその両方に優れた作品を残している。そして、山崎朝雲(東京美術学校教授)の門下生となり、近代彫刻作家としての研鑽も積んだ。因みに、山崎は高村光雲の高弟である。

 光重の研究者・相原悦夫氏の著書に、「当時(大正末から昭和初期ー編集人注)は、光重や民之助(野本民之助のこと、川越市を拠点に寺社や山車の彫刻を多く手がけた人物ー同)と同じような考え方の彫刻師も多く見られ、それぞれ宮彫師としての将来性と新しい分野への挑戦というジレンマのなかで苦悩を重ね、彫刻作家としての新しい道を拓くケースも多く見られたのである。」(『彫刻師 佐藤光重』/2006/ぎょうせい)とある。

 彫刻師=職人であると同時に、彫刻家=芸術家をもめざした光重の歩みが当時決して珍しいものではなかったことが知られる。

 商店街の一角に設けられた会場に、光重の作品が数点並べられていた。どれも在住当時ゆかりのあった人たちに贈られた個人の肖像、神像だが、細やかさとおおらかさが渾然となった佳品である。

 

 このブログの「ぶらぶらあるき」(5月22日)もご覧ください。

 

■酒肴全般

 ハンゴンソウについて。

 

 親しい方からハンゴンソウなる山菜を頂きました。漢字では「反魂草」と書きます。味も香りもちょっと春菊に似て、日本酒によく合う。オーソドックスな酢みそ和えがおいしい。

 ハンゴンソウと聞いて、落語の「反魂香」を連想しました。反魂香(返魂香とも)は、焚けば死んだ者の姿が煙の中に立ち現れる、というお香です。落語はあわて者の八つあんが、反魂香と反魂丹(はんごんたん、越中富山の腹痛薬)を間違えて焚き隣家の人が火事かと思い大騒ぎになる、というお話。元は漢の武帝が后の死後にこの香を焚いた煙(の形)にその面影を見たという故事によるものらしい。

 諸橋大漢和には「反魂」の語はなく、「反魂香」の項目に白居易の詩の一節「反魂香降夫人魂、夫人魂在何処」が引かれています。

 続いて「反魂紙」という語がありついでに調べてみると、「還魂」という熟語はあり、意味は「死者がよみがえる」とあります。「反魂紙」は「還魂紙」ともいい、使用済みの紙を漉き直して作った和紙のことだといいます。故人がしたためた手紙や文書には魂が宿ると信じられていて、裏返しにして使ったり漉き直した紙に写経することで故人の供養になるとされた、とのこと。何ともゆかしい話です。

 ハンゴンソウの名の由来をネットで調べると、死線をさまよった者がこれで助かったことから、とも、手のひらのように切れた葉が下を向くので幽霊の手を連想させるから、とも。こちらはゆかしさとはほど遠い命名ですね。

 

 Glenfiddich(グレンフィデック)/シングルモルト/スコッチ ★★★

 

 今年になってウイスキーをちょっとずつ飲み始めています。オン・ザ・ロックでゆっくり飲むのが心地いいのです。

 これまでも二次会などで水割りを飲むことはありましたが、味わって飲むのは学生時代以来。まあ、学生時代は味わって飲んでませんけどね。

 これは量販店でたまたま買ってみたものです。商品の紹介には、洋梨やレモンを思わせるフルーティさと滑らかなコクが特徴、とあります。漢字で書けば清麗といったところでしょうか。

 

 

【編集後記】
 第9号ができました。

 書店で『世界で最も美しい書店』をめくりながら、『風の影』という長編小説のことを思い出していました。いつか時間があったら読み返したい本のひとつです。次号で「時間があったら読み返したい本」という項目を設けようと思いますが、いかがですか。

 ヘッダの写真は、八戸市舘鼻公園にある展望テラス。円形のテラスの真ん中に置かれた腰掛け?と同心円状に敷き詰められた石畳が、心地よいリズムをつくりだしています。

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