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蝉氷坊のブログ

 文殊会通信(読書、映画、美術、酒をめぐる片言隻句)ぶらぶらあるき(県内篇・県外篇)梵夫の時間(おりおりの日誌)

文殊会通信 第6号 2013年3月1日

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 From 海*堂

 

●最近読んだ本
『お坊さんのための「仏教入門」』/正木晃/春秋社/2013.1 ★★★★

 

 現代の日本仏教、特に日本の僧侶に対する批判本は、学者や僧侶その他さまざまの立場の人々によって毎年出版されている。その批判の内容は私怨が動機のようなものを始め、まさにピンキリであるが、上田紀行の「がんばれ仏教!」などのように傾聴に値する批判と提言を述べた本もときにはある。本書もその一つである。

 著者は密教の研究者でだいぶ前に『大法輪』に連載していたことがあり、その時は愛知県あたりの大学の助教授だったはずだが、何があったのか知らないけれどもいつの間にか慶応大学の非常勤講師になっている。

 以下のような章立てで、内容は多岐にわたっている。

 第一章 葬儀 仏教は葬儀から始まった。

 第2章 女性と仏教をめぐる課題

 第3章 大乗仏教の立ち位置

 第4章 東日本大震災から見えてきた仏教のあり方

 第5章 僧侶の品格 

 第6章 現代仏教の重要課題 公益法人・脳死・子育て

 ブッダの葬儀については、それまでの通説とは異なり、仏弟子が関わったという説が紹介されたり、自分たちだけが真実の仏教だと唱道する、論争好きなアルボムッレ・スマナサーラ師のテーラワーダ仏教の問題点、僧侶の品格、寺院の活性化と寺庭婦人の役割、現代の課題などさまざまな面から大変有益な提言を行っている。

  

▼今読みかけの本
『死別の悲しみに向き合う グリーフケアとは何か』/坂口幸弘/講談社現代新書/2012.12

 

■これから読む(購入する)予定の本
 いつ読めるかわからないのに、今月買(ってしま)った本

 

『ブッダからほとけへ』/立川武蔵/岩波書店/2013.1

『唐代の禅僧3 石頭』/石井修道/臨川書店/2013.1

『死者との対話』/若松英輔トランスビュー/2012.11

『空海の夢』/松岡正剛/春秋社/2005.12

 

【編集人から】

 「いつ読めるかわからないのに」というフレーズに哀しくうなずく…。

 

●酒肴全般

純米酒/春鹿 超辛口/今西清兵衛商店/奈良市 ★★★

 

 朝日新聞土曜版Beの「売れ筋拝見」純米酒、いよいよ第一位。先ず冷やで一口。なんだか今までにない刺激がガンとくる。香りは少なく、かすかな甘さとアルコールの刺激が匂う。日本酒度はなんとプラス12。どうも焼酎に近いような味わいだ。試しにぬる燗にしてみると、刺激が一段と強くなり、飲んだ後の残り香が、鉛筆の木の部分のような匂い。燗には不適。新聞評では、「これぞ辛口酒!と納得の1本。香り高くキレよく幅のある味わいが楽しめる」。本当かい。う~ん、これが一位か。世間の好みがわからん。

 因みに第2位は。「一ノ蔵 特別純米酒 辛口」。過日仙台に行った時、駅の売店に300mlビンがあったので買ってみた。キレがあるが香りは少なくあっさりした味わいで深みは感じれられない。「一ノ蔵 大和伝」などと同じ傾向である。この新聞評は、「米本来の柔らかな旨みがバランスよく溶け、上品で深みのある味わいを醸し出している」とある。辛口ではない「一ノ蔵 特別純米酒」があるが、こちらの方が香り高く味わいに深みがあると思うのだが。

 以前は辛口の酒が好みだと思っていたのだが、いつの間にか辛口でない方が好みになってしまっていることに気づいた。

 

From 高*庵

 

▼最近読んだ本

1.『デズデモーナの不貞』/逢坂剛文藝春秋/1999.3 ★★★

 

 読了しましたが、評価は先月と変わらず。

 

2.『なぎの葉考』/野口富士男/文藝春秋/1980.9 ★★★ 

 

 実に30年余りも本棚で埃をかぶっていました。

6篇の短編集ですが、表題作は川端康成文学賞を受賞して、当時名作の誉れが高かったもの。

 「なぎの葉考」は老齢の作者と、30歳くらいの中上健次(小説の中では間淵)が二人で紀州は新宮近辺を旅する前段と、作者の若かりし日の新宮の遊郭での女性との交情の回想の後段に分かれる。

 老齢の作者と中上健次(新宮出身)が友達同士という組み合わせにびっくり。収められている他の短編が戦時中の作品なのでさらにびっくり。

 

3.『そうかもしれない』耕治人/講談社/1988.4 ★★★

 

 これも25年間本棚で埃をかぶっていました。

 これに先立つ『天井から降る悲しい音』という作品集で、老いの哀しみを描いて、耕治人の名は一躍有名になりました。

 これはそれに続く最後の作品集で、3つの作品が収められています。認知症で施設に入った妻が、口腔ガンで入院中の作者を見舞って、「御主人ですよ」と言われ「そうかもしれない…」と呟く表題作。

 老いの哀しみ、生きることの孤独感が伝わります。

 

【編集人から】

 いろいろな作家を読んでいたのですね。野口富士男とか円地文子(下段の記事)とかいう名前からは、高見順の『昭和文学盛衰史』(名著!)を連想しますね(二人の名前があったかどうかは定かではない)。中上健次、私もいつか読み直したい作家です。

 

■今読みかけの本

1.『鴉戯談』/円地文子中央公論社/1981.12

 

 埃をかぶること30余年。全10篇の連作。

学生の頃、文芸雑誌の『海』に載っていた一篇を読んで面白く思って購入してそのままになっていた。

 3分の2ほど読んだが面白い。評価は次回。確か続篇が『雪中群鴉図』として刊行されていた筈。

 

2.『東京発千夜一夜』/森瑤子/朝日新聞社/1992.3

 

 朝日新聞の連載小説だが、一日読み切り一篇のショート・ショートを200回連載という、仰天の力業。

 連載当時も拾い読みしたが中々面白い。評価は次回。

 

3.『鍼の如く』長塚節 大正3~4年

 

 短歌231首の連作。

 長塚節最晩年の絶唱。誰もが「絶唱」という。

 折にふれて読んでいるものの、文語、雅語、文法上中々意味が通じない歌も多い。

 無学を恥じるのみであるが、詳細は次回以降。

 

☆本棚で埃をかぶっている本を、元気なうちに何とかしなくちゃという思いから、あれこれ読んではいるものの、今いちばん読みたい本ではないものも多く、ちょっと複雑な気分。

 20~30年以上前に購入した単行本の小説類が結構多くて…。

 その割に漱石、鴎外となると意外に本棚になくて…。

 

●アート全般

小川芋銭」「セザンヌ

 今月は、小川芋銭を見ようと思って、一日一枚見始めたものの、どうにも物足りない。芋銭の画技が未だしのため、どうしても表現する世界が深化しない。あるいは進化しないような気がして半月で打ち切り。

 そういうわけで、またしてもセザンヌ。不動の4番バッター?

 セザンヌの初期の作品から、コツコツ見ていくことにしました。

 そして考えたこと。自分は何十年もセザンヌを見てきて、何もわかっていないんじゃないかと。いや、本気でセザンヌを見ていなかったんじゃないかと。

 その表現する絵画世界を、十分理解できなくても、やはりひかれるもののたくさんある世界。

 

 晩年のセザンヌ翁がレアリザシオンを少し解せりとおひしおもほゆ

                          吉野秀雄

 

 この歌、事実をそのまま三十一文字に写しただけのようでいて、言い尽くせぬ味わいがあります。まさにセザンヌの画と相通ずる?

 

▼酒肴全般

 今月は特に変わった銘柄も飲みませんでした。

 最近とみに酒が弱くなって、宴会や会合があると必ず飲み過ぎになるので、独酌がやはり一番合っているかも。

 李白を真似て、月下独酌と洒落てみましょう…。

 

From 蝉氷坊

 

■最近読んだ本

1.『肉食妻帯考』/中村生雄/青土社/2011.11 ★★★

 

 副題は「日本仏教の発生」

 一、肉食と妻帯はひとくくりにしてはいけないということ。本来別々の系統の戒律である。二、「肉食妻帯」という語は近世(享保年間、18世紀初期)にいたるまで使われなかったことばであること。強いて言えば「女犯肉食」がもっとも近い語だが中世以降他宗派が真宗教団を攻撃する際の侮蔑語であった。

 本書はこの2つのことがらから説き起こされる。どうやら「肉食妻帯」の語は江戸時代中期以降、真宗教団が戦略的に用いたスローガンであるらしい。

 著者は日本人の仏教受容の特徴をこう記す。

 「…非常に現実的な世俗的に活用できる技術なりあるいは理論ありを選別的に受け入れ、それを利用する…。個別的な議論は非常に精密に行うけれど、グランドセオリーをつくりだすようなスケールを持った学問が生まれにくい…」

 「…そういう現世主義的な性格、世俗社会を重視する性格というのは、他方で非常に享楽的な日本民族の性格に対応している…。ですから禁欲とか、欲望を否定する、そういう宗教の非常に重要な要素というのは、必ずしも全面的に取り入れられるということがない…」

 「…仏教に関していえば、道元禅師に代表されるような禁欲的な性格よりも、むしろ空海に代表されるような人間の欲望を最終的にすべて肯定する、受け入れるというふうな欲望肯定の思想が日本人の多くにはより馴染みやすい思想として受け入れられた…」

 その結果、仏教において厳格な戒律が相対化され、ついには空洞化されるのが日本仏教の特徴である、という。どれも目新しい見かたではないが、こうして順序立てて説かれるとその通りだとも思う。

 親鸞の思想解釈は二度変わっている。一度目は真宗教団が徳川幕府と接近し妥協するなかで、二度目は明治から大正にかけて知識層にあった人々の再解釈によって。前者については本書でも強調されていて、「仏教の真宗化」なる用語もでてくる。

 内容をひとことで言うなら「日本風土における戒律受容の解明」といった感じか。歴史的な俯瞰、旧仏教各派の教義への目配りも行き届いている。実は読む前にはもう少し刺激的な本かと思っていた(新説が書かれている、という意味)。もっと知的な興奮を誘ってくれることを期待していたのだが。

 

2.『笑う親鸞』伊東乾/河出書房新社/2012.5 ★★★

 

 著者は作曲家兼指揮者にして音響学の専門家。

 著者は大学の「日本伝統音楽論」の代理講義を頼まれたことから浄土真宗の節談説教に出会う。節談説教を追いかけて全国各地に出かけ、説教者(せっきょうじゃ)の生の声、聴衆の受け念仏、会場(主に寺院本堂)の音響に触れ、その魅力に取り憑かれてしまう。

 経文や教義を庶民に分かりやすく説いた必要から、ことばに節や抑揚をつけ、身振りなどを交えた演出的な布教は仏教伝来当初から行われていたという。のちにそれは説経節(せっきょうぶし)や節談説経に発展して昭和初期まで隆盛したが、近年はほんの少数の継承者が残るのみである。

 実は真宗では明治時代、節談説教は異端とされ宗門から排斥・破門された歴史がある(本書では触れられていない)。それでも今日までその命脈を保ってきたのは、説教者とそれを支えた信者たちの努力だった。

 節談説経の縁で真宗の研究機関「親鸞仏教センター」の僧侶たちとの交流が始まり、報恩講(真宗でもっとも重要な法会)での合唱曲を依頼される。時あたかも2011年は親鸞聖人750回大遠忌に当たる。ならばと、単なる合唱曲ではなく新しい仏教音楽法会を創りましょうと話が進み、伝統的な法会に西洋音楽の要素と最新技術による音響装置を組み入れた一大プロジェクトのプロデューサー兼コンポーザーを務めることになる。本書はその法会当日までの記録。

 副題は「楽しい念仏、歌う説教」。タイトルの「笑う」親鸞とは、念仏をメロディに乗せて分かりやすく、説教に笑いを入れて聴衆の耳目を引く、音楽家としての親鸞、説教者としての親鸞は笑顔で教えを説いただろうという、節談説教に触れた著者の連想からきている。

 ただ文中、親鸞聖人のためにとか、親鸞聖人は喜んでくれるだろうかとか、しばしば親鸞の名前が出るのは気になる。親鸞に名を借りた権威づけの気配がないではない。それはしかし、親鸞の教えの対極にあるものだろう。著者自身も書いているが、法会での念仏や読経はすべて、阿弥陀さまひとりに捧げられるのであって宗祖や祖師ではない(もちろん信者や聴衆でもない)。

 

3.100分de名著『般若心経』/佐々木閑/NHK出版/2013.1 ★★★★

 

 テレビの講座テキストだが、これがなかなか新鮮だ。

 正直なところ私には、大乗仏教はお釈迦さまの教えを超えようとした(ある部分は否定もして)ということがよく分らない。本書では、大乗仏教における般若経典の、お釈迦さまの教えとの違いを実に明解に解説してある。ページ数が少ない(25分番組4回分で約100ページ)ので、かなり大胆にはしょってあるのだろうが。

 当寺で開いている「お経を読む会」でも使いたい。

 

●今読みかけの本
1.『日本人は何を考えてきたのか』明治編、『同』大正編/NHK取材班 編著/NHK出版/2012.6 2012.12

 

 テレビシリーズの書籍化。昭和編は未刊。

 

2.『ふしぎなキリスト教』/橋爪大三郎・大沢真幸/講談社現代新書/2011.5

 

■これから読む(購入する)予定の本

1.『一命』/滝口康彦/講談社文庫/2011.6

 

 『切腹』、『一命』の原作本(下記アート全般を参照)

 

2.『死者の書・身毒丸』/折口信夫/中公文庫/1999.6

 

●アート全般

『切腹』/小林正樹監督/1962 ★★★

『一命』/三上崇史監督/2011 ★★★

 NHK(『切腹』)、WOWOW(『一命』)の録画で。

 

 以前に録画していた『切腹』をようやく観た。たまたま最近リメイクされた『一命』が放映されたので観ることができた。原作は未読。

 やや長くなるが『切腹』のあらすじを書きたい。

 武家社会の虚飾性、権威主義、非情さ、すべてが現代に通ずる。何より、弱く貧しく愚かな者を寄ってたかって抹殺する非人間性は武家社会も現代社会も同じだ。 

 元芸州藩士の遺子千々岩求女(ちぢいわ・もとめ)は、廃寺を寺子屋として赤貧の暮らしをしている。武士としての義を通して切腹した父の親友津雲半四郎の娘美保を妻にするが、貧乏から抜け出せない。ある日病気の我が子の薬代の工面に窮し、井伊家上屋敷で狂言切腹を申し出てしまう。狂言切腹は江戸初期浪人の間に流行した一種のゆすりで、大名家の屋敷に切腹のため庭先を借り受けたいと申し出、対応に困った家人から金品をせしめるというものである。

 井伊家江戸家老の斎藤勘解由(かげゆ)は、当家で狂言は通じぬとして切腹を強行させる。求女の太刀はすでに質入れされ、帯刀しているのは実は竹光であった。斎藤は竹光での切腹を命じ、求女は苦悶と恥辱の中で死ぬ。同じころ、求女の妻子も病死する。

 復讐を誓った半四郎は井伊家に切腹したいと申し出、斎藤と対峙する。中庭にしつらえた切腹の場で、半四郎は求女が狂言切腹をするにいたった経緯を話し終わると切腹の介錯人を名指しする。指名された沢潟(おもだか)彦九郎、矢崎隼人、川辺右馬之介の3人はいずれも病欠と称して欠勤していたが、実は半四郎との真剣勝負に敗れ、髷(まげ)を切り取られていたのだった。

 井伊家家臣に取り囲まれた半四郎は太刀を取って斬り合うが、最後は銃弾に斃れあえなく死ぬ。

 立ち回りで飛び散った血や乱れた玉砂利が使用人たちの手で手際よく清められていく。斬り合いでひっくり返された井伊家伝宝の甲冑も元通りに飾られ、何事も無かったように虚空を睥睨(へいげい)している…。

 『一命』は細かく観れば違う箇所も多く、印象はかなり違う。例えば、最後の大立ち回りのシーン。

 半四郎の太刀は『切腹』では真剣だが、『一命』では竹光であること。したがって、半四郎がいくら剣の達人とはいえ、30人以上を相手に長時間闘えるわけがない。それをあえて入れたところにこの映画の狙いがあるとすれば、凡作というほかない。

 また、これがサービスとしてのアクション、時代劇を3Dで見せるための戦闘としてなら、リアリティに欠ける。わざわざ竹光で乗り込んだ真意を知らしめたいなら、座したまま斬られる方が相手に与えるストレスの面で効果的だ。事実半四郎は、「このまま座して斬り刻まれようとかまわない」という意味のことばを発してもいる。

 また、求女の妻の死も対照的だ。『切腹』では子どもに続いて衰弱死、『一命』では懐刀による自害である。困窮による理不尽な死と、武家の妻らしい覚悟の死では半四郎が受ける悲哀の中身が違う。

 求女の父千々岩陣内の死も、『一命』では病死である(『一命』での名は甚内)。

 しかし、『一命』は凡作ではなかった。『切腹』が復讐劇なら、『一命』は人間ドラマである。父娘や夫婦の愛情、家族への愛情が、また極貧の生活や折り目正しい武士らしい言動が丁寧に描かれる(少々長いが)。半四郎の市川海老蔵、求女の瑛太、美穂(『切腹』での名は美保)の満島ひかりも好演である。瑛太の切腹シーンは、迫力がありすぎて正視できないほど。井伊家上屋敷に代表されるセットもすばらしい。派手な門構えと、薄暗い室内に浮かび上がる巨大な牛の襖絵は権威の虚飾ぶりを象徴していて効果的だ。

 モノクロの『切腹』とカラーの『一命』の違いについて。

 モノクロの映像は静謐と秩序という、武家屋敷の空気を伝えるのにふさわしい。が、逆にセリフの生々しさや状況描写(極貧の悲惨さなど)は減じられるような気がする。一方、カラーでは感情や状況はよく伝わるが、盛り上がりと抑制の濃度が分かりにくいように思う(実時間と回想シーンのトーンの違いなど)。実際、多くの映画で回想シーンをモノクロにする意図は単なる時間差の表現だけではあるまい。

 音楽は『切腹』の武満徹、『一命』の坂本龍一、ともにすばらしい。メインになる旋律が心に残らないのは、逆に映像に配慮した音楽ということだろう。

 最後に、本筋とは関係ないながら気になることをひとつ。『一命』では家主?らしい和尚がちょっとだけ登場する。まさか家賃の催促に来たのではなかろう。求女夫婦の窮状を救ってやろうとは思わなかったのだろうか。

 それはともかく、同じ原作の映画をいろいろな意味で対照的な、優れた2つの作品で見比べる機会に恵まれた。

 

【編集後記】
 文殊会通信第6号です。今回も編集人の都合で遅くなりました。
 ヘッダの写真は当寺境内に咲いた桜の花のスナップ(2012年5月)。せめて写真の上だけでも春の気分で。早く春が来ないかな。

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