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蝉氷坊のブログ

 文殊会通信(読書、映画、美術、酒をめぐる片言隻句)ぶらぶらあるき(県内篇・県外篇)梵夫の時間(おりおりの日誌)

文殊会通信第43号 2016年7月1日号

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海*堂  消息

 

 しばらくお休みです。

 

蝉氷坊  消息

 

●最近読んだ本

『中世芸能講義』「勧進」「天皇」「連歌」「禅」/松岡心平/講談社学術文庫/2015.5

 

 書店散策はもっぱら時間つぶしのためであって、ほとんどの本はネットで買う。これは久しぶりに書店で買った一冊で、大衆芸能と宗教の関係への関心からはじめは書名の「芸能」に惹かれて手に取った。

 禅を論じた書物の中でも、禅文化(詩や茶道、禅画など)そのものではなく、パラダイムとしての禅、鎌倉室町期を覆う禅的な時代感覚のようなものに触れたものを探している。本書はそれ自体を論じているわけではないが、自分のそうした関心に応えるかのような文章に出くわした。

 「現在の鎌倉では侘びさび風の寺院のイメージしか残らないものになっていますが、むかしはそうでなかったと考えられます。そこは鎌倉武士にとってぎりぎりの生死の工夫を得る場所であると同時に,俗な面でいうと中国直輸入の輝かしくきらびやかな禅の空間に身を浸して、バサラ的な感覚をみがく場所でもあったに違いありません」(224ページ、禅の契機)などがその例である。

 別な本に、禅は宗教である以前に貿易の手段であり外交上の知識であった、というくだりがあったと記憶するが、まさにそのことである(今、書名を思い出せない)。

 戦後日本のアメリカ文化が、ジーンズをはいたりギターを手に自作の曲を歌う若者を生み出したというようなことばかりでなく、家族がそれぞれの車で出かけ、ファストフードやファミレスを利用することが世代を超えてあたりまえという感覚を作り出してきたことにも似た、強烈な動機づけが当時の禅にあったということが重要である。そしてそれがある側面、現代にまで及んでいるということが。 

 

▼今読みかけの本

『完本 小津安二郎の芸術』/佐藤忠男朝日文庫/2000.10

『100分de名著 歎異抄』/釈徹宗NHK出版/2016.4

『溥儀の忠臣・工藤忠』/山田勝芳/朝日選書/2010.6

 

■アート全般

「一人息子」/小津安二郎監督/松竹大船/1936/DVD ★★★

 

 佐藤忠男氏の著作を読みながら小津監督の初期の映像が観たくなり、9作品で2千円弱というDVDセットがあったので購入してみた。これだけ安ければ画質・音質は問えまい。戦前の作品が3作あり、古い順に「一人息子」(1936)、「戸田家の兄妹」(1941)、「父ありき」(1942)。

 大正末期の信州。母一人子一人の貧しい家庭。息子の成績がいいので担任が進学を勧めに来る。母親は進学させる余裕はないといったんは断るが、考え直して息子を励まし進学させる。やがて成人し東京で役人となった息子に会いに行く母親は、縁談の心配までしている。しかし息子は役所を辞めて夜学の教師になっていて、妻子をかかえて郊外の長屋に侘び住まいしていた、というストーリー。

 短期間で先進諸国と対等になった近代日本は、東京を中心とした中央集権と立身出世主義が造ったという言い方ができるであろう。東京は日本中の若者たちを引き寄せ、同時に呑み込む魔都であり続けた。

 深夜、息子のふがいなさをなじる母親の声に目を覚ました妻は襖の陰で静かに泣く。しかし、妻の涙は自分の境涯に対してではなく、よき夫である息子への愛情の現れとみたい。妻が着物を売ってこしらえたお金を、馬に蹴られてケガをした隣家の子どもの治療代に貸してやるという善行もあくまで物語の一エピソードにすぎない。小津作品にセンチメンタリズムは無縁だと思う。

 母親は1970年代のテレビドラマがなつかしいあの飯田蝶子(!)、息子は日守新一(清水宏監督の「按摩と女」でも好演)。

 

【編集後記】

 通算43号です。

 最近録ったテレビ番組。NHKドキュメンタリー、世界で一番美しい瞬間(とき)「満月の夜 祈りのとき ブータン・パロ」。二度観てしまいました。

 年に一度、パロの町にある仏教寺院で開帳されるグル・リンポチェ(ブータン仏教の開祖)が描かれたトンドルと呼ばれる巨大な掛け軸。真夜中の開帳を前の日からひたすら待つ人々。番組では7年ぶりに訪れた老人を支える一家族、教師をめざす女子大学生、出産したばかりの映画女優の夫婦、それぞれの祈りと願いを丁寧に描いていました。老人に寄り添っていた日本人レポーターが落涙するところで胸を突かれました。

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蝉氷坊通信メンバー  蝉氷坊 1954年生   海*堂 1954年生   高*庵 1958年生   法*斎